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断捨離と罪悪感と菊と刀と湯上がりスヌーピー先生と…。

断捨離
Dahlia or Chrysanthemum.JPG
 
断捨離でもてあます感情である罪悪感。文化人類学者ベネディクトの『菊と刀』によると、日本人は恥の意識に縛られて、キリスト教圏の西洋人は罪の意識に縛られる。社会を維持するために恥や罪の意識が機能しているのだそうです。
 
断捨離関連の前の記事で、不安について考えて見たので、今回は罪悪感について考えてみようと思います。
 
今日は盛大に脱線しますよぉ…。
 
この記事は以下の記事の続きです


 
確かいつだかの「ホンマでっかTV」で、社会性人格障害の人は罪悪感がないということを、湯あがりスヌーピー先生がお話していたと記憶しています。テレビをぼんやり見つつも、「社会の一員として秩序を守るためには、社会の構成員各自に罪悪感が必要なんだなあ」と思っていました。
 
道端で昼寝している犬を蹴り上げるとき罪の意識を感じるべきだとは思いますが、自分が所有しているモノを捨てるのに本来なら罪悪感は必要ありません。
 
だって、個人が所有するモノを捨てても(ただし自治体のルールにのっとって!)社会の維持と関係ないし。まあ、エコという観点からすると罪悪感発生しそうですが。なのにモノを捨てるとき、罪悪感が発動してしまう。
 
頭の中では断捨離をした方がよい、モノを捨てた方がよいと考えているにもかかわらずです。困ったもんだ。 多分我々は、モノを捨てようとするたびに社会にエクスキューズをしているんです。
 
「今、罪悪感感じたよ!僕、いい子でしょ?だからここにいさせてね☆」
 
ですが、罪悪感という不快な気分を感じたら思考停止してそれ以上進めません。 もしこの仮定が正しいなら罪悪感って、結構身勝手なものなのかもしれませんね。 罪悪感が人を社会の枠にはめます。
 
罪悪感がない人は社会からドロップアウトしてしまう危険性があります。社会からドロップアウトすることは、社会から見捨てられるということでもあります。
 
「モノを捨てること=罪悪感=ドロップアウト=自分が見捨てられること」を強烈に感じるから捨てるの嫌なのです。
 
自分がモノを捨てようとしているくせに、同時になぜか自分が捨てられるという恐怖を感じている。 でも、罪悪感が人を社会の枠にはめる、とういことなら、罪悪感を感じることがすでに社会の一員の証なわけです。
 
じゃあ、逆に、罪悪感は、モノを捨てるときの免罪符になりうるのではないか?と思うのです。モノを捨てるときに罪悪感を感じたら、もうそれでOKってことでいいのではないかな…。
 
「今、モノを捨てようとして罪悪感感じた!つまり自分は社会の一員~。大丈夫~。見捨てられない~。だからモノ捨ててもOK」
 
という頭の切り替え……だめ?
 
以上、断捨離するときもてあます罪悪感について考えてみました☆ ぎゅっと握りしめた罪悪感をぱっと離す…のは、難しいんですよね。 しかし、日本人でも罪の意識バリバリにあるじゃんと思わなくもなくもなく…。これって日本人が欧米化したからでしょうかね?