『ダサい』克服法は『無難』で!攻撃ワード『ダサい』に踊らされない(精神論)

😀当ブログの記事は広告を含む場合があります

スポンサーリンク

ある日友人から「お前のその服、ダサいな」と言われたとします。

 
ですが、ダサい洋服を買ってきてくれるお母さんは、 お母さん同士ではファッションリーダーかもしれません。
 
一方、ダサいとダメ出ししてきた友人も、家に帰れば美容師のタマゴである兄から「お前ダサいな」とダメ出しされているかもしれません。
 

「ダサい」と断罪されるのはなかなか酷なものですよね。「ダサい」って一体なんなんでしょう。

 

『ダサい』の克服法は『無難』だ!

もう、克服法を言っちゃいますね!
 
「ダサい」への対応策は、無難が安全パイです。
 
このブログは、アイテム数を厳選して無難な着こなしを提案するブログです。
  1. ファッション全体をざっとみわたす
  2. 定番アイテムを選択
  3. 着まわす 
段階を踏んで「ダサい」から脱出できます! 興味が出たのなら、こちらからつらつらっとどうぞ。

と、売り込みはここらへんにしておいて。「ダサい」という言葉について考えてみようと思います。今後「ダサい」に踊らされないために!

ダサいの迷宮 

「ダサい」におびえる人は、自分のファッションセンスに自信がないわけで。
 
自分のファッションセンスに自信がない人が、いきなりオシャレになるのはかなりハードルの高いことです。  
 
しかし、無難になったからといってダサいから解放されるわけではありません。 それは「無難でダサい」という、 ダサいから無難にのしあがった人間にとって、 崖からつき落とされるようなコメントをくらう可能性があるからです。
 
ダサいをふりきってやっと無難になったかと思ったら「無難でダサい」「つまらない」とか言われるんですよ。コワイですよね☆
 
だから、ダサいという言葉におびえ、ダサいをなんとかしたいと思っているという人は、無難を目指すとともに…… 
  • ダサいに関する自分なりのものさしを持っておく
  • ダサいというジャンル以外の丈夫なものさしを持っておく
など、複数の方面からアプローチすることをおすすめします。 せっかく無難になったのに、そこでまた「ダサいと言われる問題」に引きずり込まれないように最初から精神的に手を打っておく。 
 

言葉で説明できるかできないかがキモである

①「お前、カッコ悪いな」
②「お前、ダサいな」
  
②の方がなぜかインパクトが大きいのですよね。①の方が愛がある感じ。
 
なぜなら「カッコ悪い」は原因を言葉で説明できそうだから。
 
一方、「ダサい」という言葉はあまりにも感覚だよりで理解しにくく「コイツに言葉で説明してもわからないだろうな」という排他的なニュアンスが含まれているような気がします。
 
つまり「お前ダサいな」は次のように翻訳してもあながち間違いではないのです。
 
「お前は俺たちとセンスを共有していない。かつ、お前にいちいち言葉で説明したくもない」 

「ダサい」の破壊力の源とは? 

「ダサい」という言葉は、なかなか破壊力のある言葉で、 いじめなどにおいては、「キモい」「クサい」と同じくらいのパワーがあると推測します。
 
「クサい」「キモい」と「ダサい」の破壊力の源は、「それを言われたところで本人にはどうしようもない」ところにあります。
 
「ダサい」という言葉を受け取った人が困惑するのはこんな理由です。 
  • どこまでがダサくてどこまでがダサくないのかの境界線がよくわからない
  • わかりやすい対応策がない 
ダサいとダサくないの境界線がよくわからないと、「ここまでやれば大丈夫」というラインが見えないのでゴールを設定できない。よって対策がしにくいのです。 
 

ダサいに関する自分なりのものさしを持っておく 

「ダサい」は評価のひとつです。それもかなりインパクトある方の。

 
ただ、「ダサい」が破壊力を与えるのは「ダサい」の意味を感覚的に知っている世代に限ります。
 
「おばあちゃんダサいよ」とお年寄り世代に言ったところで「うふふ、そうかい」なんて、笑って流されるはずですので。
 
無難なファッションに落ち着いたからといって「ダサい」から逃れられるわけではありません。「無難でダサい」問題があるからです。
 
ダサいという言葉は、どこへ逃げても我々をつけ狙うスナイパーのようだ。
 
「せっかく無難になってダサいから解放されたと思ってたのに無難だからダサいってなんだよ!!??」「ていうか無難すすめてんじゃねえよ」と言いたくなるのもわかります。
 

無難でヨシという心構えを! 

それこそ無難なルートが「ダサい→無難→オシャレさん」なのではないでしょうか。「ダサい→オシャレさん」ルートは厳しいと思います。 オシャレさんを目指すとしても一旦は無難という段階をはさんだ方がスムーズです。
 
で、おすすめしたいのが、無難に這いあがる前から「無難でヨシ」と決めてしまうことです。
 
たとえ無難になったときに「ダサい」と言われようと、「無難でヨシ」とするのです。
 
「お前、無難すぎてダサいな」と言われても、動揺することなく「あっ俺、とうとうダサいから無難にレベルアップした。俺、グッジョブ☆」ととらえる。
 
無難に到達した以後の「ダサい」は決して受け取らないという作戦です。
 
ところで、ダサいと言われたくないという気持ちが原動力になって、スッゲーおしゃれになるという道も確かに存在していると思います。それを選ぶかどうかはおまかせします。
 
ぶっちゃけると、私が提案できるのは無難までが精いっぱいなんです!? というか、私自体、おしゃれリーダーでもファッショニスタでもなんでもないので「おしゃれ」を提案できるわけがありません(一応ファッションブログです)キリっ 。
 
無難からちょっとはみ出してみるという試みも紹介するつもりでいますが

ダサいという評価と人をはかるものさし

「人をはかるものさしは一つじゃない」
 
よく言われますよね。 「ダサい」で大幅ダメージをくらう人は、自分をはかるものさしが少ないという可能性があります。
 
だから、ダサいと言われてor言われるかもしれなくて悩んでいる人は、ファッション改善に手を付ける前に「ファッション以外で自信があるもの」を先に点検しても損はないかもしれません。
 
でないと、せっかく「ダサい」から脱出したと思っても、「無難でダサい」「おしゃれすぎて意味分かんない。ダサい」みたいな、別のかたちの「ダサい」をくらい、今までの努力はなんだったんだろうかと混乱しちゃいます。
 
「ダサい」でダメージ受けるのは、若手世代です。それは、ダサいという言葉が比較的新しいということもありますが、それとともに若い世代はまだまだものさしが少ないということもあると思います。
 

誰もが納得できる客観的にダサくない基準などない!

f:id:jarmusch:20170320153051j:plain

手持ちのものさしが外見のよしあしだけなのだとしたら、かなりしんどいかな……と。 だって、「誰もが納得できる客観的にダサくない基準」なんて誰も知りませんから。そんな伝説の生き物みたいなものに踊らされたくないとは思いませんか。
 
つまり、ものさしが少ない人が、「ダサい」をなんとかしようとしてファッション改善に乗り出すと、いるかいないかわからないものにずっと怯えて走り続けなきゃならんかもしれないのです。
 
ちょっと話がそれますが、今「ダサい」に怯えていても、年をとったらどうでもよくなります。
 
年をとると、他人からの「ダサい」という評価よりももっとコワイもんが出てくるからです。 
  • 嫁さんが口を聞いてくれない
  • 子供が学校いかなくなった
  • ちょっかいかけてた部下が上司の愛人だと気づいた
  • 親友の借金の連帯保証人になったら親友が失踪した
  • 仲の良かった兄と、親戚全体を巻き込み血で血を洗う相続争い
  • 娘がバンドマンと結婚すると言い出した
  • 妻が旦那デスノートに書き込みをしていた 
ね?ダサいなんてどうでもいいと思いません? 
 

まとめ

「ダサい」に踊らされたくないなら、私が提案できる精神論は以下のとおりです。
 
どうあがいたって「ダサいという評価」からは逃れられないと悟る。
かといって、誰もが納得できる「ダサい」の基準などないことも理解する。
無難のラインまでは一応努力するが、無難以後のダサい攻撃は受け取らない。
 
こちらは女子から見たダサいについて。

女子は男子同士とはまたちがう評価軸があるのだ!同性からくらう「ダサい」とは違う難しさ。 
 
そもそもファッションそのものだってわからんぞ。という人はこちらの記事をどうぞ!